A.T. カーニーを退職しました、というエントリー

スタートアップ界隈の人もすなる退職エントリーといふものを、プロフェッショナル界隈の私もしてみむとて、するなり。2018年の7月の日の子の時に、門出す。そのよし、いささかにものに書きつく。

WHEN: いつ退職するのか

このたび、2013年7月からお世話になったA.T. カーニー株式会社を、2018年7月でもって退職することにしました。ちょうど5年間お世話になりました。実は、すでに有給消化期間に入っていましたが、6月29日に退職手続きのための最終出社を終えました。

WHO: そもそもお前は何者なのか

tkmtと言います。A.T. カーニーのCommunication, Media and Technology Practiceのマネージャーです。

2008年に京都大学経済学部を卒業しました。新卒では、ニューヨークに本拠のある投資銀行であるゴールドマン・サックス(の日本ブランチ、ゴールドマン・サックス証券株式会社)に入社し、投資調査部において株式アナリストとして5年3カ月勤務しました。その後、2013年7月にシカゴを本拠とする経営コンサルティングファームであるA.T. カーニー株式会社に転職しました。

「自分の人生のやりたいことリスト」がたくさんあるので、それをひとつずつ潰していくために生きています(日々、生まれては消えています)。

WHERE: どこで働いてきたのか

最初は株式投資を始めた中学3年生から憧れていた株式アナリストになろうと思い、ゴールドマン・サックス証券に入社しました。また、”ハゲタカ”というドラマの影響で、いつかプライベートエクイティで日本を買い叩きたいと思ったり、プロ経営者としてターンアラウンドを担いたいと思っていたこともあり、証券アナリストよりもっと経営を実際に動かす側に行きたいと思ったことから、プライベート・エクイティと迷いましたが、次はコンサルにしました。また、経営を実際に動かすことを目指していたので、"Tangible Results"というキーワードを掲げ、プロジェクトとしても戦略と戦略を実行に落とし込む戦略オペレーションのバランスの良さそうだったA.T. カーニーに入社しました。

WHAT: 何をやってきたのか

A.T. カーニーには証券業界から入社したため、コンサルタントとしてのスキルは持たず、入社しました。そこから、プロモーションを二度して、2017年7月にマネージャーとなることができました。

A.T. カーニーには職位が6つあります。上から、パートナー、プリンシパル、マネージャー、アソシエイト、シニアビジネスアナリスト、ビジネスアナリストです。僕は社会人6年目の7月に転職しましたが、下から2番目のシニアビジネスアナリストとして入社しました。当時、投資銀行時代の年収からは半分以下となりました。しかし、実際にはコンサルタントとしてのベーシックなスキルである論理思考力がまだまだ低く、実際に最初の1年間はヤバいとしか言えない成果でしたので、当然だと感じました。

そもそも、A.T. カーニーに入社した理由のひとつに、そういった論理思考能力が自分の苦手スキルだと自覚しており、それを身につけたいと思っていたことがありました。新卒採用では、多くのコンサルティングファームを受けましたが、どこへ行っても手も足も出ず、なんなら「ケース面接とかウザい手法で面接してくるやつらは、性格が悪いに違いない!一緒に働いても幸せなわけない!」と逆恨みしている状態でした。

でも、これは杞憂でした。ATKは業績も絶好調で、社内のポリティクスもほとんどなく、コンサルティング業務そのものの成果で真っ当に評価される環境は、リーマンショック後の嵐のなかでオフィスがすさむ様子を目の前で見てきた証券会社に比べてずっと働きやすく、業務に集中できる素晴らしい環境でした。年俸もどんどんあがっていくので、5年経った今は、昔の給与水準と同様のレベルに戻りました。

WHY: なぜ退職するのか

そんな素晴らしい環境にいて、なぜ退職するのかというと、大きく3つの理由があります。ひとつはコンサルタントとしてのフェーズの変化が近かったこと、もうひとつは自分の価値の最大化を考えたこと、そして最後ですが良いオポチュニティがあったことです。

1. コンサルタントとして次に進むべきタイミングだった

とにかくキレる頭脳を持つ上司や尖った能力を持つ先輩、また鋭い意見でズバズバ刺してくる後輩に囲まれ、リサーチチームやPPT作成チームの心強いサポート、また人事チームと共に行ってきた中途採用というファームビルディング活動を通じて、苦手だったことがどんどんできるようになるのを感じました。

何よりも、仮説思考、プロジェクト・マネジメントの経験やひたすら繰り返す構造化などのお陰で「頭の使い方」を教えてもらえたことが自分の最高の財産になったと思います。ずっと昔より「自分の脳みそというエンジンを駆動力としてアウトプットにスムーズにつなぐ、シンプルな仕組みを脳みそに作ることができた」という感覚です。シニアビジネスアナリストとして、コンサルタントの流儀に慣れるのに苦労しましたが、そこで構造化や論理思考、仮説思考といったベーシックなスキルを身につけることができました。

また、プロジェクトの3-4割程度はクライアントのオフィスに常駐するタイプのもので、改善プロジェクトをクライアントのカウンターパートと一緒になって推進してきました。実際に、ATKが得意とする収益を即時に改善するようなプロジェクトをいくつも行い、パワポ屋と言われないような”現場シゴト”まで含めて、自分は出来るようになってきているのではないかという実感をえることもできました。

さらに、アソシエイトとして小さなプロジェクトのマネジメントを行うようになり、そしてマネージャーとなってプロジェクトを重ねる中で、プロジェクト・マネジメント、チームの運営という経験も積むことができました。

2. 自分のバリュープロポジションについて考えた

マネージャーとしていくつかプロジェクトをこなす中で、マネージャーとなってからは、だんだんと「プロジェクトを実行する」という仕事から「プロジェクトを組成する」という仕事への移行を意識しなくてはいけなくなってきます。現場のコンサルタントからプロジェクトを請け負ってくるパートナー・プリンシパルを目指すステップに入ってくるのです。

そこで自分が数多の素晴らしい戦略コンサルタンティングファームのパートナーたちに比べ、何か自分に武器はあるのかと問えば、すべてを一瞬で理解できるほどのIQを持っているわけでもなく、誰でもすぐに気持ちを理解しコントロールできるほどのEQを持っているわけでもない。自分に武器がないままだと感じました。

少し話はそれますが、これは実は戦略コンサルティングファームにおいてよく聞く退職理由で、特に新卒でコンサル業界に入った人が思い悩みやすいものです。「自分の武器がわからない」というやつです。僕の場合にはまだ金融出身なので金融の知識があるとか、死ぬほどエクセルが早いとか、そういうコンサルの中だけで成長してきた人とは違う特色がありました。そんな僕でさえ、もっと自分だけの自分にしかない武器を手に入れたいと強く思うので、新卒でコンサルの人なんかはもっともっと悩みがちだと思います。

僕の話に戻ると、武器が足りないと思う一方で、まだまだ20歳くらいの気持ちで、新しい武器を手に入れるべく、学んで吸収していけるだけの向上心は保てているので、伸びしろはある!という思いもあり、自分にとってのバリュープロポジションとは何かを考えてみました。自分のなかのリトル・tkmtに話しかけました。そしたら、次のチャレンジをしたほうがいいのではないか、できるのではないかと彼は答えました。

3. よいオポチュニティがあった

このように、会社の中でこのままパートナーを目指すという、コンサルタントとしてのキャリアを突き詰めていくことを念頭にしながらも、自分がここまでやってきたこと、これからやってみたいこと、それをどうやっていくのか、どうやって違いを生み出していくのか、自分のバリュープロポジションについて頭の片隅で考えながら、新しいオポチュニティについても頭の片隅に置いている状態になっていました。また、年末年始の休暇中には「SHOE DOG」を読んでいたのですが、これが素晴らしい作品で、自分の血が沸きあがるような感覚を感じました。

そういった状態にあった僕に、ゴールドマン・サックス証券時代の先輩から一緒にスタートアップで働かないかというお誘いを頂き、まずは話を聞いてみたいと感じました。そのスタートアップは、自分がコンサルタントとしていろいろと提案してきた新規事業のひとつに近かったため、とても興味が惹かれました。実際にそのスタートアップの幹部の方々にお会いし、そのサービスとこのメンバーであれば、間違いなくうまくいくに違いないと確信しました。

そうしてチャレンジ熱がどんどん高まる頃、先に言及したスタートアップとはまた別に、大学の仲間や飲み仲間、昔の同僚などを通じて、いくつかのスタートアップからのお誘いがきました。こういったものは重なるものなんだなと思いつつ、できるだけ様々なスタートアップと話をすることにしました。自分の”人生でやりたいことリスト”の中に、経営者やIPOといったものもあったため、スタートアップというのも選択肢のひとつでした。お話をいただいたスタートアップは、それぞれサービスはもちろん違いますが、ステージが違ったり、自分に提示されるポジションについてもコンサルの経験が活きるものも証券の経験が活きるものも幅広くあり、どれも魅力的な提案でした。そのうち、コンサルかスタートアップかではなくて、どのスタートアップかという方向に、気持ちは傾いていきました。

HOW: どのように退職を決めたのか

正直、A.T. カーニーでの仕事には満足できています。自分がやりたいと思えるようなプロジェクトがたくさんありますし、素晴らしい上司やメンバー、バックオフィスのサポートもあります。給料も安定的かつ高水準でもらえています。非常駐型の戦略案件と、常駐型の戦略オペレーション案件のバランスも良かったです。自由闊達でフラットな社風も、僕にはとても合っていました。また、最近は十分にプロジェクトをとれていて全体として稼働率は高く、人材面でも外国人や優秀な若手も多く入ってきているので、いわゆるMBB(McKinsey、BCG、Bain)よりもいいのではないかと思えるほどです。人に勧められるかと問われれば、間違いなく勧められる職場です。

そのため、スタートアップから提案されたオポチュニティをつかむ上で、自分自身に関する要件と、スタートアップに関する要件を設け、それを超えるだけのチャレンジをしたいと思える魅力があれば、そのオポチュニティにかけてみよう、と思いました。

そして、そのチャレンジしたいと思えるスタートアップのお誘いが2社ありました。2社もあったのか、というようにも思えますが、結局それだけ自分の中でふつふつと”挑戦をしたい”という気持ちが湧きあがっていたからだとも思います。結局は論理を超えた情熱が生まれており、ワクワクするようなチャレンジがしたいという想いが、コンサルのキャリアへの満足感を上回り、退職することを決めました。

ありがたいことに、退職をお話したA.T. カーニーのパートナーのみなさんからは「チャレンジできるというのが羨ましい」「何かあればまたカーニーに戻ってくればいい」ととにかく温かく送り出していただけました。もちろん戻ることなく、ちゃんと参画するスタートアップを大きく成長させ、(実績・実力に対して知名度が低いように思うけれど)カーニーの名に恥じぬ働きをしようと決めています。

NEXT: どこに行くのか

また、次のスタートアップをどう選んだのかについては、入社のあとに入社エントリーとして書いてみようと思っています。

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金融ジェロントロジーの時代に向けて、いま何を仕込むか

 

こちらの本を読みました。エモい。とにかくエモい。何がエモいって、金融ジェロントロジーというテーマは今後かなり盛り上がりそうなネタなのに、まとめられている本はこれくらいしかなくて、これ読むくらいしかないというこのアンバランスさ。そして、この本自体はまだまだこれから埋まっていくべきもののように感じます。

 

生命寿命=長寿化が進む中で、健康寿命=健康に生きられる期間をできるだけ長くしたい。そして、資産寿命=お金に死ぬまで苦労しない期間も長くしたい。それが金融老年学=フィナンシャル・ジェロントロジーという学問だということ。らしい。

確かにこれまでボケの進んだ老人が銀行窓口に来たとすると、何もせず資産保全を行うことになっているようです。そのために、死ぬまでに資金不足に陥るのだけれど、投資など資産運用の支援は誰も行わないので、どうにもならないという手詰まり状態。

そこでしっかりライフプランを立てて、生命寿命・健康寿命・資産寿命のバランスを取りましょう、という話が、この金融ジェロントロジーで解くべき重要な核だと、僕は理解している。

日本は後期高齢者が多いのだが彼らの世代は結構貯蓄しているので、この資産寿命の問題が起こらず、資産寿命が短い層の資産不足が顕在化するのは少し先になるのだが、金融ジェロントロジー先進国の米国ではすでに資金寿命不足が起こっている。そのため、米国を日本が追いかけるかたちになっている。

野村アセットマネジメントと野村資本市場研究所の調査によると、今の60代は生命寿命に対して資産寿命が足りない=死ぬ前に資産が切れる可能性が高い。そうなると生活保護に頼るのか、医療費はどうなるのか、と大きな問題になるでしょう。

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これに対して、どういった世の中の変動が起こって、どういう事業が伸びるのか。投資家目線で考えると、医療・介護まわりのビジネスというありきたりなところから、更に広げて考えると、高齢者向けの金融サービスって何があるだろう?と考える。ラップ口座?投資信託?保険?リバースモーゲジ?ライフネット生命の高齢者バージョンみたいな企業とか、ないのだろうか?60代であれば比較的ネットやスマホは使える世代ではあると思うが…。何か見つけたら投資してみたいと思います。